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2012年11月22日

文法のクラス始めるよ

木曜日から、文法の授業を始めます。

1年生、2年生、3年生でもいいのですが、

文法が弱い生徒は参加してください。

この文法は、おそらく今まであなたたちが習ってきたのとは、

かなり違う授業になると思います。

また、楽しめると思います。

最近、入った生徒は是非、参加してください。

かなえ、エルザ、クッチー、きりきり・・・

あんたたちは参加するほうが、いいですよ。

今まで、文法は楽しくなかったという人でも、

絶対楽しくなります。時間は、

木曜日、8時30分からです。

筆記道具だけ持ってきてください。

この文法は、聞きにくるだけで、

文法が確実にわかるようなります。

家で、わからない文法書に苦しむより、

ずっと早くわかります。

それと、小説を読むクラスをします。

これは、12月から始まります。

今まで多くの生徒が、物語を楽しんできました。

英語に興味を持てるきっかけを掴む場合もあります。

ある男子生徒が、恋愛小説を読んで、

「こんな楽しいことはなかった。

これがきっかけで、英語が好きになった」

といったのです。そのとき、私は・・・男の生徒なのに、

「そーなんだ」とやや以外だなーと思ったことがありました。

  

Posted by 剛先生 at 22:45Comments(0)楽しく英語を学ぶ

2012年11月22日

黒田 官兵衛 10

昨年、黒田官兵衛が攻めたという

高松城の跡地に行ってみました。

今は、城跡をうかがわせるようなものは

何も残っていませんでしたが・・・

なるほど、その位置は、

湖水の底になるであろう低地にありました。

周囲は高く、城のあたりは低く、

今でも蓮畑で囲まれていました。

おそらく官兵衛は、いったんは力攻めしてみたのでしょうが、

あまりの足場の悪さゆえに、進退ままならず、

これでは力攻は無理だと判断して、

“水攻め”を秀吉に進言したといわれています。

城の周囲には小高い丘があり、

土手は城の背後、約3キロをつくったというのです。

しかも、それをわずか12日間でつくったというのですから、

まさに脅威です。その土手は、高さ7メーター、

幅24メーターほどであったといわれています。

この土木工事が難工事であったのは間違いありません。

官兵衛はよほど土木工事にもたけていたのでしょう。

水の勢いは、今回の津波を見てもわかります。

最後に水をせき止めるのは、最大の難問だったはずです。

官兵衛は船に石を積み、その船に穴を開け、

沈めたというのです。

しかし、どのようにして定位置に沈めたのでしょうか。

これが難工事だったのは・・・

後に石田三成が同じ方法を、小田原攻めで採用して、

見事に失敗していることでもわかります。

ようするに、せっかくつくった土手が

決壊して、自陣が大きく損害を受けたのです。

  

Posted by 剛先生 at 09:04Comments(0)時代をみる目

2012年11月22日

餓死した裁判官

随分、以前のことですが、

ある先生が、すばらしい裁判官の話

をしてくれたことがありました。

当時は、食料管理法のある時代で、

たしか・・・あまり詳しくはわかりませんが

・・・米を買うのには規定があって、

一定の量以上に米を買うことができなかった

時代だったのだと思います。

しかし、割り当てられた米の量は

少なく、それだけではやっていけずに、

ほとんどの人がやみ米を買って

何とかしのいでいた時代だったのです。

ところが、この裁判官は「自分は裁判官だから、

決して法をやぶるわけにはいけない」というので、

結局、決してやみ米を買わなくて、

餓死したといのです。

この話、これ以上詳しいことは知りませんが、

小さいときにすごく感銘を受けた話でした。

それほど当時の、司法には信頼があったのでしょうね。
  

Posted by 剛先生 at 08:35Comments(0)自分で考える癖を

2012年11月22日

小沢 裁判 2

さらに、先日、「それでも、私はやっていない」

という映画を見ました。

これは・・・電車で、隣にいた女の子に、

痴漢だと疑われ、手をつかまれ、

駅員に引き渡されるという話です。

こうなると、一般的には、痴漢だと思われ、

そうでないと証明するのは難しいのです。

刑事は「お前、やったんだろう。

今、ここで素直に認めて、罰金を払えば、

それですむのだ。だから認めた方がいいぞ」

と脅します。さらに、弁護士も来て「裁判すれば、

何ヶ月もかかりますよ。大変なことになり、

仕事もやめなくてはならないし・・・

それより、今認めて、罰金払えば、

すぐ出られてます。それでも、裁判しますか」

というのです。主人公は「でも、やってないんだ」

と叫びますが、実際、裁判は大変で、

検察はほとんど彼の言うことは認めてくれないのです。

ただ、担当の裁判官は、

よく被告の話を聞いてくれるのですが、

その裁判官は、以前被告を無罪にしたというので、

裁判官の交代がおこなわれ、

厳しい裁判官に代わります。

結局、彼は有罪になります。

この裁判を見ていると、

もし、これが真実なら、

この社会はお先真っ暗だ

という気持ちになります。

最後に、「裁判官も官僚だから、

同じ官僚である警察や、

検察のいうことに反対するのは

勇気のいることなんだ」とある一人がいいます。

また、裁判がただ、勝ったり、負けたり

のことのほうがより重大であるかのような印象をうけます。

本来、裁判とは、より真実に近づく

ということではなかったのか。

本当にこんな社会でいいのですか。

  

Posted by 剛先生 at 08:28Comments(0)自分で考える癖を