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2012年11月22日

黒田 官兵衛 10

昨年、黒田官兵衛が攻めたという

高松城の跡地に行ってみました。

今は、城跡をうかがわせるようなものは

何も残っていませんでしたが・・・

なるほど、その位置は、

湖水の底になるであろう低地にありました。

周囲は高く、城のあたりは低く、

今でも蓮畑で囲まれていました。

おそらく官兵衛は、いったんは力攻めしてみたのでしょうが、

あまりの足場の悪さゆえに、進退ままならず、

これでは力攻は無理だと判断して、

“水攻め”を秀吉に進言したといわれています。

城の周囲には小高い丘があり、

土手は城の背後、約3キロをつくったというのです。

しかも、それをわずか12日間でつくったというのですから、

まさに脅威です。その土手は、高さ7メーター、

幅24メーターほどであったといわれています。

この土木工事が難工事であったのは間違いありません。

官兵衛はよほど土木工事にもたけていたのでしょう。

水の勢いは、今回の津波を見てもわかります。

最後に水をせき止めるのは、最大の難問だったはずです。

官兵衛は船に石を積み、その船に穴を開け、

沈めたというのです。

しかし、どのようにして定位置に沈めたのでしょうか。

これが難工事だったのは・・・

後に石田三成が同じ方法を、小田原攻めで採用して、

見事に失敗していることでもわかります。

ようするに、せっかくつくった土手が

決壊して、自陣が大きく損害を受けたのです。



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Posted by 剛先生 at 09:04│Comments(0)時代をみる目
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