プロフィール
剛先生
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
QRコード
QRCODE
インフォメーション
大分県の地域ブログ情報サイト「じゃんぐる公園」

ID
PASS

大分ケーブルサービス

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告は非表示になります。
  
Posted by スポンサー広告 at

2012年11月04日

黒田 官兵衛 2

黒田 官兵衛はもともとは、小寺氏に属し、

姫路を拠点にしていました。

当時、播州は、毛利、浮田、織田などの勢力の接点にあって、

自己の存続を図るには、

右顧左眄に忙しい日々だったのです。

その中で、官兵衛は、

次の時代が、間違いなく信長の時代であるという確信

をつかんだのだと思います。

彼は主君の小寺氏を説得して、

信長と接触しようとします。

その際、秀吉と親交を結ぶことになったのだと思います。

本格的に秀吉が播磨に進出するまでは、

敵、毛利などの攻撃を受け、

それをわずかの兵で持って打ち破っています。

まさに寡兵よく敵を制すといった戦いだったのです。

おそらく、周囲には「ここまでして、

織田に尽くす必要があるのか」と

いった意見も多かったのではないでしょうか。

しかし、そのような中で、彼は一度もこころ変わりの様相もなく、

ひたすら信長に忠誠を尽くすのです。

ようやくにして、秀吉が姫路に着陣し、

本格的に中国経営が途につたばかりのころ、

摂津の荒木村重が信長に反旗を翻すのです。

摂津と言えば、信長の領土の中心的な位置にあり、

もし、この乱が拡大すれば、

信長の領国は分裂し、

瞬間にして瓦解する危険があったのです。

しかも、信長は荒木村重をことのほか、

信頼していて、このもっとも重大な地域を与えていたのでした。

だから、「村重、反乱」という知らせを聞いたとき

「何かの間違いであろう」といったといわれています。


  

Posted by 剛先生 at 14:30Comments(1)時代をみる目

2012年11月04日

Who am I? 18

Who am I? 18

Long ago I used to have 53 points

where people could take a rest.

Now it takes about 2 hours to go all the way.

The traffic is now so heavy that some people think I need a second body.

Starting from Nihon Bridge,

I run along the coast,

going through many cities, mountains and fields

till I come to the Third Large Bridge.

  

Posted by 剛先生 at 14:14Comments(4)楽しく英語を学ぶ

2012年11月04日

Who am I? !7 解答

Who am I? 17の解答

正解は、マイケルジャクソンでした。

正解者は、りゅう君、水仙でした。

マイケルジャクソンが死んだとき、

多くの人が驚いたでしょうが、

マイケルが舞台で、立って、その姿勢から、

だんだん倒れて行き、ほとんど倒れ掛かっているのに、

立っているのを見て、

どうして立っているんだという驚きを思いだしますね。

後で、あれには、靴にやや細工があったらしいと聞いて、

少し納得しました。

また、ネヴァーランドが、一番大きなヒントだったと思います。

  

Posted by 剛先生 at 14:07Comments(0)楽しく英語を学ぶ