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2012年11月22日

小沢 裁判 2

さらに、先日、「それでも、私はやっていない」

という映画を見ました。

これは・・・電車で、隣にいた女の子に、

痴漢だと疑われ、手をつかまれ、

駅員に引き渡されるという話です。

こうなると、一般的には、痴漢だと思われ、

そうでないと証明するのは難しいのです。

刑事は「お前、やったんだろう。

今、ここで素直に認めて、罰金を払えば、

それですむのだ。だから認めた方がいいぞ」

と脅します。さらに、弁護士も来て「裁判すれば、

何ヶ月もかかりますよ。大変なことになり、

仕事もやめなくてはならないし・・・

それより、今認めて、罰金払えば、

すぐ出られてます。それでも、裁判しますか」

というのです。主人公は「でも、やってないんだ」

と叫びますが、実際、裁判は大変で、

検察はほとんど彼の言うことは認めてくれないのです。

ただ、担当の裁判官は、

よく被告の話を聞いてくれるのですが、

その裁判官は、以前被告を無罪にしたというので、

裁判官の交代がおこなわれ、

厳しい裁判官に代わります。

結局、彼は有罪になります。

この裁判を見ていると、

もし、これが真実なら、

この社会はお先真っ暗だ

という気持ちになります。

最後に、「裁判官も官僚だから、

同じ官僚である警察や、

検察のいうことに反対するのは

勇気のいることなんだ」とある一人がいいます。

また、裁判がただ、勝ったり、負けたり

のことのほうがより重大であるかのような印象をうけます。

本来、裁判とは、より真実に近づく

ということではなかったのか。

本当にこんな社会でいいのですか。



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