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2012年10月30日

ランの話 ⑨ 日本で学んだこと

外国人は、小さい時から、自分の意見を

持つように訓練され、意見を言うことに慣れていて、

うるさいほど話し合おうとします。

これは、日本人と大きく違う所です。

おかげで、初めのうちは、彼らと話すのは

とても疲れることだと思いました。

しかし、毎日、顔をあわせているうちに、

彼らの気分も分かってきて、

私たちも話を楽しめるようになりました。

ある日、私が夕食を作っていると、

ランがいきなり「由紀子さん、ありがとう」

と言うのです。何のことを言っているのか

分からないでいると、彼が「私は日本に来たおかげで

我慢することを学んだ、日本人は素晴らしい」

という意味のことを言っていました。

彼の文化には、思ったことは何でも口に出すけれど、

相手を許して、丸くおさまるという考えはなかった

のかも知れません。以後の彼は、ますます、日本が

好きになったようです。  

Posted by 剛先生 at 23:20Comments(0)リトルアメリカ

2012年10月30日

海外旅行体験談 1  オーストラリア


もう10数年前に、初めての海外旅行で

オーストラリアへ行きました。この仕事をやっている

おかげで、外国人とは様々な交流があるのですが、

海外は初めてでした。

美しいグレイトバリアリーフを上から眺めて、

ブリスベーンに着き、それから移動してシドニーへ。

やはり聞くと見るとは大違いで、わずか1週間ほどの

旅でしたが、様々な経験をしました。

その中の一つ。シドニーでは、ナイトクルーズという

食事つきのシドニー湾をめぐるコースに申し込んだのです。

出港時間になると、街の中から、ぞろぞろと乗客らしき

人々が集まって来るのですが、それが何とほとんどが日本人。

船上ではディナーショウもあって、雰囲気が盛り上がった

ところで、私たちの後ろの、日本人の着飾ったおばさま

グループの一人が、食事を吐いてしまったらしいのです。

私たちのすぐ前に、若いオーストラリア人のウエイトレスが2人

暇そうに立っていました。彼女らがそれにすぐに反応して

吐いた後始末をしに行くのかと見ていました。

ところが、ウエイトレスの2人とも、あらぬ方向に

「はーい」と答えるようにして、姿を消してしまいました。

明らかに、彼女たちは、吐いた後始末をするのは

嫌だったので、他の客から呼ばれたふりをして逃げ出したの

でした。。でも、これが日本であれば、当然彼女たちの

仕事だったと思うのです。結局、どこからか出てきた、

アジア人の女性がそれを始末していました。

嫌な仕事はしたくないと言うのは正直なきもちでしょうが、

こんな時に、その国のお国柄が見えるような気がしました。

オーストラリアの人々は、おおらかで、楽しく、物事に

こだわらない性格の人が多いのですが、仕事に対しては

日本人ほど、真面目に取り組むひとは少ない気がします。







  

Posted by 剛先生 at 22:55Comments(0)外国体験談

2012年10月30日

Who am I? !7

Who am I? 17

今回は日本人ではありません。

Probably you were more thrilled at my sudden death

than when you watched me still standing as if ready to fall down.

You may blame me for being bad to children.

I danced my way to my goal

but this was not my intentional goal.

It was just an accident.

After my death I would sleep in peace in my Never Land.




  

Posted by 剛先生 at 18:07Comments(3)楽しく英語を学ぶ

2012年10月30日

Who am I? 16 解答

Who am I? 16の解答

今回はやや難しかったかもしれません。

解答者は2人でした。

淳平と、イナ2です。どちらも、日本史の猛者ですね。

正解は淀君です。戦国の世では、多くの女性が、

男たちの野望の犠牲となってきましたが、

淀君ほど、数奇な運命に弄ばれた女性も少ないのではないかと思います。

彼女の母は、織田信長の妹、お市です。

彼女は、信長の意を受けて、浅井長政に嫁ぎます。

信長は浅井を押さえて、越前朝倉を攻めますが、

そのとき、浅井は旧情を絶ちがたく、信長を裏切って、

朝倉に味方して、信長の背後を攻めるのです。

このときが信長の一番の危機だったのです。

ようやく、この難所を逃れた信長は、

体制を建て直し、浅井の居城、小谷を攻めます。

こうなれば、浅井は風前のともし火です。

落城の際に、浅井長政は、信長の妹である市と3人の子供を脱出させます。

城を出た市と3人の娘は、

柴田勝家に預けられることになるのです。

そして、また柴田勝家が秀吉から攻められたとき、

母親の市だけは、柴田勝家とともに城に残りますが、

3人の娘は、助け出されるのです。

こうして、大阪城に住むようになったのです。

この3人娘の長女が茶々、後の淀君です。

その後、茶々は秀吉の子供を生みます。

もう自分には子供はできないと思って、

甥の秀次を後継者に選んでいた秀吉にとっては、これはまさに僥倖でした。

しかし、考えてみれば、この子供が、

豊家の不幸を運んで来たともいえます。

これによって、豊家の家臣団は、正妻のねねと、淀君の2派の対立となり、

関が原では豊家と徳川の戦いではなく、

豊家の2派の戦いの様相になったのです。

最後に、淀君は大阪城を攻められ、

ついに秀頼とともに死んで行くのです。

彼女は小さいとき、茶々とよばれ、

後に淀川にちなんで、淀殿と呼ばれました。


  

Posted by 剛先生 at 18:01Comments(0)楽しく英語を学ぶ