2012年10月16日
僕は3年間野球をやりながら勉強してきました
リトルでがんばった先輩の記録です。
………
僕は3年間、野球をやりながら勉強してきました。
野球は、僕にとってかけがえのないものでしたし、
今しか出来ないと感じていたから、野球をやめるという
選択肢はありませんでした。
だから、他の生徒ほど、時間がありませんでした。
そんな自分が、大学に合格できたのは、先生の
「一流になんない。その夢に向かって頑張んない」
と言う言葉でした。
僕は、これを聞いて、、僕もやれば一流になれる
と信じて目標を立てました。そして、頑張りました。
時間は、最大限効果的に使うことを心がけました。
授業中も、内職などでおおいに勉強できました。
今、振り返ると、苦しんで勉強したという記憶はありません。
覚えにくかった英単語も、変なゴロあわせで覚えました。
そして、何より僕が興味があったのは、様々な社会情勢
などを先生が話してくれたことでした。それを聞いて、
僕たちも視野が広くなり、新聞などもよく読むように
なりました。すごい先輩たちに会うと、かっこいいなあ
と思っていましたが、今、自分も少しは
近づいたかなと思っています。
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僕は3年間、野球をやりながら勉強してきました。
野球は、僕にとってかけがえのないものでしたし、
今しか出来ないと感じていたから、野球をやめるという
選択肢はありませんでした。
だから、他の生徒ほど、時間がありませんでした。
そんな自分が、大学に合格できたのは、先生の
「一流になんない。その夢に向かって頑張んない」
と言う言葉でした。
僕は、これを聞いて、、僕もやれば一流になれる
と信じて目標を立てました。そして、頑張りました。
時間は、最大限効果的に使うことを心がけました。
授業中も、内職などでおおいに勉強できました。
今、振り返ると、苦しんで勉強したという記憶はありません。
覚えにくかった英単語も、変なゴロあわせで覚えました。
そして、何より僕が興味があったのは、様々な社会情勢
などを先生が話してくれたことでした。それを聞いて、
僕たちも視野が広くなり、新聞などもよく読むように
なりました。すごい先輩たちに会うと、かっこいいなあ
と思っていましたが、今、自分も少しは
近づいたかなと思っています。
2012年10月16日
情報過多の時代
この前から、何度か書いてきましたが、
最近の若いひとたちは、自分で判断するという
能力を身に着けてるための訓練を受けていない気がします。
最近は、わからないことがあれば、
すぐインターネットで調べるせいなのか、
事実を深く考査することもなく、
受け入れてしまう気がします。
以前は、すぐには本当のことがわからなかったものだから、
真実に行き着くために、
自分で、ああでもない、こうでもないと
考える時間があったのかもしれません。
前も書きましたが、現在は情報過多の時代です。
あまりに多くの情報がありすぎて、
どれを信じていいのかわからなくなっています。
「それは何か」を知るよりも、
どの事実をこの場合に当てはめればいいのかを、
考える時代になっています。
最近の若いひとたちは、自分で判断するという
能力を身に着けてるための訓練を受けていない気がします。
最近は、わからないことがあれば、
すぐインターネットで調べるせいなのか、
事実を深く考査することもなく、
受け入れてしまう気がします。
以前は、すぐには本当のことがわからなかったものだから、
真実に行き着くために、
自分で、ああでもない、こうでもないと
考える時間があったのかもしれません。
前も書きましたが、現在は情報過多の時代です。
あまりに多くの情報がありすぎて、
どれを信じていいのかわからなくなっています。
「それは何か」を知るよりも、
どの事実をこの場合に当てはめればいいのかを、
考える時代になっています。