2012年10月30日
Who am I? 16 解答
Who am I? 16の解答
今回はやや難しかったかもしれません。
解答者は2人でした。
淳平と、イナ2です。どちらも、日本史の猛者ですね。
正解は淀君です。戦国の世では、多くの女性が、
男たちの野望の犠牲となってきましたが、
淀君ほど、数奇な運命に弄ばれた女性も少ないのではないかと思います。
彼女の母は、織田信長の妹、お市です。
彼女は、信長の意を受けて、浅井長政に嫁ぎます。
信長は浅井を押さえて、越前朝倉を攻めますが、
そのとき、浅井は旧情を絶ちがたく、信長を裏切って、
朝倉に味方して、信長の背後を攻めるのです。
このときが信長の一番の危機だったのです。
ようやく、この難所を逃れた信長は、
体制を建て直し、浅井の居城、小谷を攻めます。
こうなれば、浅井は風前のともし火です。
落城の際に、浅井長政は、信長の妹である市と3人の子供を脱出させます。
城を出た市と3人の娘は、
柴田勝家に預けられることになるのです。
そして、また柴田勝家が秀吉から攻められたとき、
母親の市だけは、柴田勝家とともに城に残りますが、
3人の娘は、助け出されるのです。
こうして、大阪城に住むようになったのです。
この3人娘の長女が茶々、後の淀君です。
その後、茶々は秀吉の子供を生みます。
もう自分には子供はできないと思って、
甥の秀次を後継者に選んでいた秀吉にとっては、これはまさに僥倖でした。
しかし、考えてみれば、この子供が、
豊家の不幸を運んで来たともいえます。
これによって、豊家の家臣団は、正妻のねねと、淀君の2派の対立となり、
関が原では豊家と徳川の戦いではなく、
豊家の2派の戦いの様相になったのです。
最後に、淀君は大阪城を攻められ、
ついに秀頼とともに死んで行くのです。
彼女は小さいとき、茶々とよばれ、
後に淀川にちなんで、淀殿と呼ばれました。
今回はやや難しかったかもしれません。
解答者は2人でした。
淳平と、イナ2です。どちらも、日本史の猛者ですね。
正解は淀君です。戦国の世では、多くの女性が、
男たちの野望の犠牲となってきましたが、
淀君ほど、数奇な運命に弄ばれた女性も少ないのではないかと思います。
彼女の母は、織田信長の妹、お市です。
彼女は、信長の意を受けて、浅井長政に嫁ぎます。
信長は浅井を押さえて、越前朝倉を攻めますが、
そのとき、浅井は旧情を絶ちがたく、信長を裏切って、
朝倉に味方して、信長の背後を攻めるのです。
このときが信長の一番の危機だったのです。
ようやく、この難所を逃れた信長は、
体制を建て直し、浅井の居城、小谷を攻めます。
こうなれば、浅井は風前のともし火です。
落城の際に、浅井長政は、信長の妹である市と3人の子供を脱出させます。
城を出た市と3人の娘は、
柴田勝家に預けられることになるのです。
そして、また柴田勝家が秀吉から攻められたとき、
母親の市だけは、柴田勝家とともに城に残りますが、
3人の娘は、助け出されるのです。
こうして、大阪城に住むようになったのです。
この3人娘の長女が茶々、後の淀君です。
その後、茶々は秀吉の子供を生みます。
もう自分には子供はできないと思って、
甥の秀次を後継者に選んでいた秀吉にとっては、これはまさに僥倖でした。
しかし、考えてみれば、この子供が、
豊家の不幸を運んで来たともいえます。
これによって、豊家の家臣団は、正妻のねねと、淀君の2派の対立となり、
関が原では豊家と徳川の戦いではなく、
豊家の2派の戦いの様相になったのです。
最後に、淀君は大阪城を攻められ、
ついに秀頼とともに死んで行くのです。
彼女は小さいとき、茶々とよばれ、
後に淀川にちなんで、淀殿と呼ばれました。
Posted by 剛先生 at 18:01│Comments(0)
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