2012年09月12日
賢く生きる ② 大黒屋光太夫
大黒屋光太夫といっても、日本史に詳しい人
にしか知られていないかもしれません。
江戸幕府の鎖国時代に、伊勢半島から船出して、
ひどい嵐に会い、7ヶ月も太平洋を漂流して、
カムチャッカ半島から、何百キロも離れた、
孤島に漂着、ロシア人の好意で、あの広大な
シベリアの平原を往復して、10年の歳月をかけて、
日本に帰国しました。日本に帰りついたのは初め
17名だった乗組員のうちたった2名だけでした。
光太夫とその乗組員の苦難の旅は、私たちの想像
をはるかに超えるものでした。まず、言葉が全く
わからない、その上、寒さが言葉に出来ないほど
厳しく、仲間の中には、凍傷で足を切り落とさ
なくてはならなくなった人もいました。
彼が、無事に生きて帰国することが出来たのは
本当に奇跡的なことでした。
でも、光太夫の知恵と人間性もまた、この奇跡を
成せた大きな要因であったのです。(つづく)
にしか知られていないかもしれません。
江戸幕府の鎖国時代に、伊勢半島から船出して、
ひどい嵐に会い、7ヶ月も太平洋を漂流して、
カムチャッカ半島から、何百キロも離れた、
孤島に漂着、ロシア人の好意で、あの広大な
シベリアの平原を往復して、10年の歳月をかけて、
日本に帰国しました。日本に帰りついたのは初め
17名だった乗組員のうちたった2名だけでした。
光太夫とその乗組員の苦難の旅は、私たちの想像
をはるかに超えるものでした。まず、言葉が全く
わからない、その上、寒さが言葉に出来ないほど
厳しく、仲間の中には、凍傷で足を切り落とさ
なくてはならなくなった人もいました。
彼が、無事に生きて帰国することが出来たのは
本当に奇跡的なことでした。
でも、光太夫の知恵と人間性もまた、この奇跡を
成せた大きな要因であったのです。(つづく)
Posted by 剛先生 at 12:26│Comments(0)
│賢く生きる
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