2012年09月17日
鳥居 強右衛門 ③
武田軍に幾重にも囲まれ、食料を焼かれて
しまった長篠城の兵の士気はだんだん
落ちて行きました。
そこで、徳川家康が守る岡崎城に、窮状
を伝えて、援軍を頼むために、伝令を送る
ことになりました。岡崎城は長篠城から
65キロほどありました。伝令の志願を募ると、
足軽の一人、鳥居強右衛門が名乗り出ます。
強右衛門は、体も大きく、日ごろは無口ながら、
仲間にも信頼されている男でした。また、
彼は、泳ぎが達者だと言うことでも知られ
ていました。長篠から出るには、敵に悟ら
れないように川を横切る必要があったのです。
信昌もその人柄と力を頼んで、この危急を
岡崎に知らせる役目を彼に託したのでした。
この城の全員の命が彼の働きにかかっていました。
使命の重さを感じたのか、彼の顔には深い
覚悟があらわれていました。
しまった長篠城の兵の士気はだんだん
落ちて行きました。
そこで、徳川家康が守る岡崎城に、窮状
を伝えて、援軍を頼むために、伝令を送る
ことになりました。岡崎城は長篠城から
65キロほどありました。伝令の志願を募ると、
足軽の一人、鳥居強右衛門が名乗り出ます。
強右衛門は、体も大きく、日ごろは無口ながら、
仲間にも信頼されている男でした。また、
彼は、泳ぎが達者だと言うことでも知られ
ていました。長篠から出るには、敵に悟ら
れないように川を横切る必要があったのです。
信昌もその人柄と力を頼んで、この危急を
岡崎に知らせる役目を彼に託したのでした。
この城の全員の命が彼の働きにかかっていました。
使命の重さを感じたのか、彼の顔には深い
覚悟があらわれていました。
Posted by 剛先生 at 23:10│Comments(0)
│勇気をもらう話
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