2012年09月15日
鳥居 強右衛門(すねえもん) ①
福岡県と大分県の間を流れる山国川が、
豊前海に注ぐ河口に近いところに立つ、
中津城に、奥平家の神社があります。
その、神社の内殿の正面に、以前のこと
ですが、十字架にかけられた裸の男の絵が
ありました。
粗末な紙に描かれたその男の姿は、ふんどし
一枚で、髪はザンバラ。
どうして、こんな姿の男の絵を、神社の正面に
かけているのかと不思議に思ったものでした。
そして、奥平家の歴史を知るにつけて、
この人物を、神として大切に伝えた奥平家の
人々の思いを知ったのでした。
彼は、奥平家の家臣、鳥居強右衛門といい、
奥平の人々にとって、神にもまさる
恩人として、長く語り伝えられるべき人物
でした。
強右衛門の話をするとき、その自己犠牲の
男の心情を思うと、いつも胸に迫るもの
があります。
中津に生まれた人物ではありませんが、
縁あって、中津城の城主となった奥平家
に伝わる鳥居強右衛門の話を是非聞いてください。
つづく
豊前海に注ぐ河口に近いところに立つ、
中津城に、奥平家の神社があります。
その、神社の内殿の正面に、以前のこと
ですが、十字架にかけられた裸の男の絵が
ありました。
粗末な紙に描かれたその男の姿は、ふんどし
一枚で、髪はザンバラ。
どうして、こんな姿の男の絵を、神社の正面に
かけているのかと不思議に思ったものでした。
そして、奥平家の歴史を知るにつけて、
この人物を、神として大切に伝えた奥平家の
人々の思いを知ったのでした。
彼は、奥平家の家臣、鳥居強右衛門といい、
奥平の人々にとって、神にもまさる
恩人として、長く語り伝えられるべき人物
でした。
強右衛門の話をするとき、その自己犠牲の
男の心情を思うと、いつも胸に迫るもの
があります。
中津に生まれた人物ではありませんが、
縁あって、中津城の城主となった奥平家
に伝わる鳥居強右衛門の話を是非聞いてください。
つづく
Posted by 剛先生 at 23:56│Comments(0)
│勇気をもらう話
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