鳥居 強右衛門 ②

剛先生

2012年09月16日 23:39

中津は、細川氏、黒田氏、日本史にでるような

歴代、有数な領主をいただく、この地方の要衝

の地でした。

奥平氏は、明治維新の頃まで、中津藩の城主と

して残りました。

奥平氏は、戦国時代には、現在愛知県、東三河の

小豪族で、徳川側についた、長篠城の城主でした。

1575年、武田勝頼が、15,000の軍勢を率いて、

長篠城に攻めてきました。

500人の城兵で城を守る奥平信昌は武田軍の

猛攻に城を死守し、籠城を覚悟していました。

2重3重に城を取り囲む武田軍は猛攻を繰り返し、

その矢の一本が食料庫に当たり、

籠城のために備えていた食料がすべて焼け

落ちてしまったのです。

食料もない城での籠城は長くは持ちません。

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