鳥居 強右衛門 ②
中津は、細川氏、黒田氏、日本史にでるような
歴代、有数な領主をいただく、この地方の要衝
の地でした。
奥平氏は、明治維新の頃まで、中津藩の城主と
して残りました。
奥平氏は、戦国時代には、現在愛知県、東三河の
小豪族で、徳川側についた、長篠城の城主でした。
1575年、武田勝頼が、15,000の軍勢を率いて、
長篠城に攻めてきました。
500人の城兵で城を守る奥平信昌は武田軍の
猛攻に城を死守し、籠城を覚悟していました。
2重3重に城を取り囲む武田軍は猛攻を繰り返し、
その矢の一本が食料庫に当たり、
籠城のために備えていた食料がすべて焼け
落ちてしまったのです。
食料もない城での籠城は長くは持ちません。
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