黒田 官兵衛 11

剛先生

2012年12月03日 00:42

人間が真剣に、自分の人生に取り組んでいるとき、

間違いなく、運もまた後押しするのでしょう。

官兵衛が高松城を水攻めしたときも、

天もまた彼の陣営に味方したのでした。

ちょうどいい具合に、その年の梅雨は

かなりの雨をもたらしたのです。

たちまちのうちに、満々と水をたたえる

人工の湖が出現したのでした。

このありさまを見て、

救援にきた毛利軍も、為すすべもなく、

休戦交渉を受け入れざるをえない状況でした。

しかし、初めは・・・秀吉軍の態度は厳しく、

毛利の提案に譲歩しません。

というのも、秀吉は、ようやく毛利の本軍、

4万5000をおびき出し、

信長が大軍を率いて着陣するのを待ってたからです。

信長も・・・ちょうど武田軍を殲滅したときのように、

全軍を率いて「今こそ、乾坤一擲」という思いで

出陣を決意していたのです。

まず、明智光秀が第一軍に、

それから、織田全軍が陸続と続き、

ここ備中の山野を埋め尽くすことになっていたのです。

官兵衛も、秀吉も――

長い労苦がようやくにして報いられ、

この一戦の後は・・・本丸まで馬上で疾駆するがごとく、

中国の支配が進捗して行くものだと、

安堵の胸をおろしていたのかもしれません。

――しかし、それが突然にして・・・


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