小沢 裁判 2
さらに、先日、「それでも、私はやっていない」
という映画を見ました。
これは・・・電車で、隣にいた女の子に、
痴漢だと疑われ、手をつかまれ、
駅員に引き渡されるという話です。
こうなると、一般的には、痴漢だと思われ、
そうでないと証明するのは難しいのです。
刑事は「お前、やったんだろう。
今、ここで素直に認めて、罰金を払えば、
それですむのだ。だから認めた方がいいぞ」
と脅します。さらに、弁護士も来て「裁判すれば、
何ヶ月もかかりますよ。大変なことになり、
仕事もやめなくてはならないし・・・
それより、今認めて、罰金払えば、
すぐ出られてます。それでも、裁判しますか」
というのです。主人公は「でも、やってないんだ」
と叫びますが、実際、裁判は大変で、
検察はほとんど彼の言うことは認めてくれないのです。
ただ、担当の裁判官は、
よく被告の話を聞いてくれるのですが、
その裁判官は、以前被告を無罪にしたというので、
裁判官の交代がおこなわれ、
厳しい裁判官に代わります。
結局、彼は有罪になります。
この裁判を見ていると、
もし、これが真実なら、
この社会はお先真っ暗だ
という気持ちになります。
最後に、「裁判官も官僚だから、
同じ官僚である警察や、
検察のいうことに反対するのは
勇気のいることなんだ」とある一人がいいます。
また、裁判がただ、勝ったり、負けたり
のことのほうがより重大であるかのような印象をうけます。
本来、裁判とは、より真実に近づく
ということではなかったのか。
本当にこんな社会でいいのですか。
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