黒田 官兵衛 9

剛先生

2012年11月13日 08:59

随分、後になって、秀吉がたわむれに

「もし、わしが天下を取ってなかったら、

いったい誰が天下を取ったとおもうか」

と聞いたことがありました。

「それは、徳川殿であろう」とか、

「いやいや、前田殿ではないか」

と言った声が上がったのですが・・・

秀吉は「いや、官兵衛であろう」

といったと言うのです。

それを聞いた官兵衛は、直ちに髪を降ろして、

隠居したというのです。

この話、いかにもありそうなことですが、

私にはにわかには信じられません。

秀吉と官兵衛の親交は、身命をかけて信じあった

ほどのものだったはずです。

この話を聞いた官兵衛は、

「殿のいつものお戯れでござろう」とでも言って、

微笑んでいたに違いありません。

この後、秀吉は、さらに中国に侵攻し、

高松城を水攻めしていたときのことです。

突然、信長の死が知らされます。

この突然の訃報に接すると、

秀吉は茫然自失、常軌を逸し、

はらはらと落涙するのみだったのです。

そのあまりな落胆ぶりに、

官兵衛は「今こそ天下をおとりなされい」

といったと言うのです。

官兵衛の不幸は、あまりな頭脳の明敏さゆえに、

その意図するところが、並みの世人の理解を超えていた

ということだったのかもしれません。

官兵衛は消沈しきっている秀吉に

「信長さまの無念を、殿以外のどなたが果たせましょうや」

と叱咤激励したかっただけのことだったのです。

この場合、秀吉ほどの人物が、

「信長の無念を晴らす事が、そのまま天下人になる」

ということぐらい理解していないはずがありません。

しかし・・・自分から言い出せば、民心は離反する・・・

とすれば、この言葉を誰かに

言ってもらいたかったのでしょう。

これも、2人の役割を、2人がそれぞれに果たした

というだけのことかもしれません。

その中で、官兵衛は損な役回りだったのでしょうね。

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